いざ還りなん  72.0×60.0 1995 

  われわれは、戦争が終わって帰国できるとばかり思って、担げるだけの荷物を背負って「ダモイ東京」と急き立てるソ連兵の言葉を疑わす、「敦化」の地を後にした。しかし、「液河」について、身ぐるみ剥がされ防寒服が支給されて容易ならざるを知った。